ピンチはチャンス!

主に…相撲、好きなこと、闘病記です。

振り返る。

半日、なんとか晴れたけど、
午後からは、どんより☁
思ったより、気温が上がらない…と、
母は嘆いてます💦
一気に母には、冬到来…らしい(苦笑)

アタシは、昨日と今日は、
デスクワークだけで、のんびり♪

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昨日、書こうと思ってた、
緩和ケアとアタシの歩み。"8-(*o・ω・)o
改めて今日、時間があるから書こうかな。
(単なる独り言記録なので、
わけわかめな薬剤の名前が出ますが、
スルーして下さい!)

2006年くらいだったかな。
あまりにも痛すぎる皮膚潰瘍に
泣いてばかりだったから、
緩和ケアを紹介されて、
今の主治医と出会いました。

色々、試したなー。
普通に、ソセゴン、レペタン…
この二つはアタシには副作用しかなく、
アレルギーチックもあり、却下。
一時は点滴で痛み止めを落とすも、
それも、やり過ごすだけ。
未だに、ロピオンレベルでは、効かない。

オプソだけ唯一、少し継続したけど、
量を増やしても、多く飲んでも、
これもだんだん効かなくなり。

胸に貼るタイプのものにしてみたり。
(デュロテップ)
それも少し効いたけど、
便秘になりがちになるリスクから、
やはり却下になっていき。

2007~2009年…
この頃は、子宮内膜症からの、
毎月の女の子のたびに、救急車。
意識まで飛んでしまう勢い。
これには、Nsaidの痛み止めしか、
適応してなかったな。

そんな子宮内膜症などなどの炎症から
腸が癒着、プチ腸閉塞を何度も起こして。
その度に、絶食やら、命の危機に晒され。
最長、3か月の絶食だけは、
思い出したくない記憶。
食べることも忘れてた時代。

最終的に、婦人科系トラブルは、
ホルモン治療で
落ち着かせるしかなかった。

2011年…
悪化していくだけの皮膚潰瘍。
立って、点滴台に掴まり、寝たり…
ベッドに座り、オーバーテーブルに
枕を置いて、伏せて寝たり…
どうしても横になりたい時には、
画像のように、足を下げるようにして
寝たりしたたなー。
もう限界になった姿を見て、
主治医が遂に、手を出したのが、
点滴からの麻薬。(フェンタ)
点滴台につけられた機械。
一度つけたら、もう手放せなくなる。
痛い時には、フラッシュするために、
看護師さんを呼ぶ。
忙しくて、なかなか来られない時には、
自然に涙が溢れてた。
痛くて、痛くて。

いつの間にか、麻薬で、
どこかぼんやりの日々になり。

点滴が外れることになった時、
問題になったのが、麻薬のこと。
最終的に、皮下に針を刺して、注入。
いつも機械を持ち歩く生活。
でも、看護師さんを呼ばずに、
好きにフラッシュできることに。
機械の扱い方を教えてくれたのも、
緩和ケアの主治医だった。

いつもいつも、傍にいてくれた。
いつもいつも、励ましてくれた。

全ての麻薬を断ち切れたのは、
2012年10月だった。
足を失ってから、1ヶ月、
かからなかった。
あんなに、麻薬に浸ってたから、
そんな短期で切れたことは、優秀だそう。

だからかな…
今、骨髄炎で、どんなに痛みが辛くても、
あの生活には戻りたくないから、
通常の痛み止めで耐えてるのは。
それを理解してくれてる
緩和ケアの主治医。
それに従ってくれてる口腔外科主治医。
胃に穴が開くことを懸念して、
通常の強い痛み止めさえ、
与えてくれない内科主治医。

アタシは、それぞれの先生に…
感謝しかない。

またいつ、あんな痛みのある
生活がくるか?なんてわからない。
今は幸い、病気のコントロール
出来ているから、このままいきたいな。

あの日々があるから、
今の辛さにも耐えられる。
弱虫のアタシを強くしてくれたから。

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何より今は…
大好きなことがある。
励みにして、これからも、
頑張ろうねo(‾^‾*)