ピンチはチャンス!

主に…相撲、好きなこと、闘病記です。

今日までは、お天気になったから、
せっせと、やりたいことを済ませて。
でも、ほぼ、いつもと変わらない土曜日。

なので…今年中にupしておきたかった、
緩和ケアの前主治医との大切な記録を
今日はペタリして、
(かなり前に書き上げてました)
大好きな親方の写真をペタリして、
締めておこうかな。

長くなるので、読んでもいいよ…
って方だけ、読んで下さいねv(・∀・*)

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先生とアタシの15年。
一言で言えば、【壮絶】だったのかな。
 
泣いたり、怒ったり、喜んだり…
時間をかけて、振り返っていきたい。
 
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アタシの足に皮膚潰瘍が出来たのは、
2005年5月…
寝ても、起きても、何をしていても
痛みしか無かった。
2005年6月…
筑波大への初診診察から、緊急入院。
そこから、地獄が始まった。
 
色々な治療はしたけど、
良くならないまま、
1年3ヶ月の入院生活を終えた。
 
2006年の年末には、一度、
死にかけたりなんかもして💦
(感染症で)
 
2007年だったかな。
緩和ケアの先生と初めて出会ったのは。
痛みしかない生活の中で、
いつの間にか、周りは、
【また言ってるよ、痛いって】と、
時に、本当に痛いの?なんて、
心無いことを言われた時期があった。
疑われたこともあった。
そんな時に、緩和ケア…先生と出会った。
やっとアタシの辛さを心から
わかってくれる先生と出会えた。
周りにその辛さを訴えてくれた。
庇い続け、守ってくれた。
お陰で、少しずつではあっても、
あの苦痛を周知してもらえるように
なっていったんだ。
 
麻薬を試そう!
最初は、怖かったんだけど。
それでも、この痛みから解放されるなら、
何にでも、すがりたかった。
 
地獄の処置前に飲む、オプソ。
気休めにしかならなくても、
頼ることになった。
胸に貼る、デュロテップパッチ。
最初は合わなくて、眠気や吐き気が出て。
使う分量調整を、先生が指示してくれて、
定着した分量で、使い続けた。
効いてはいなかったけど、
何かに頼りたかった。
 
でも、副作用から便秘がちになり、
腸閉塞を起こしたり、
(この起因は他にあるけど)
いつの間にか、使えなくなりました。
 
そこからは、アタシに使える麻薬は
ない…状態になってしまい。
ひたすら、NSAIDs系の痛み止めのみ。
1日4回、ボルタレンを飲む。
一番、なんとか短時間でも
効いてたのが、ボルタレンだけ。
切れると叫びたい衝動になった。
夜はベッドにあがれず、座って寝たり、
点滴台に掴まって立って寝たり。
薬が切れてあまりの痛みに、
自覚のないまま、危険な行為もした。
お陰で、ベッド周りからは、
危険物は取り上げられたり。
 
そんな時も、どんな時でも、
精神的に支えてくれてた先生。
周りにも、いつもいつも、
どれだけ辛いかを訴えてくれてた。
 
2008年、2009年、2010年、2011年、
感染と入退院を繰り返し、
皮膚潰瘍は消えるどころか、
どんどん、広がるばかり。
毎日の処置は、剣山でブスブスと
足を刺されてる感覚。
いつの間にか、だんだん麻痺して、
それも慣れていくものなのね。
痛いのが当たり前の生活。
痛いのが当たり前だからこそ、
先生がついていてくれなかったら、
アタシは間違いなく折れてた。
壊れてた。いや、この世にいなかった。
 
2009年~2010年は、腸閉塞から、
絶食3ヶ月を体験したり、
ストマになる話も出た。
絶食3ヶ月を耐え抜いて、
少しずつ食べられるようになった。
その時も、いつも病室に来ては、
励ましてくれて。
何か楽しいことがないか、
いつも考えてくれて、
時には面白い漫画を持ってきてくれたり。
 
先生が来てくれると、
いつもアタシは笑顔になれた。
 
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2011年は、二度、
感染で命を落とすところだった。
震災ストレスや感染で意識なく、
救急搬送されて、そこから足を失うまで、
入院生活はずーっと続いた。
 
2011年11月、もう痛みの我慢の限界から、
24時間、麻薬生活になった。
最初は点滴から入れてたけど、
CV感染を繰り返しすぎて、
もう点滴は暫くやれない…
となってからは、
皮下に射して麻薬を常注してました。
 
そのことを納得させてくれたのも、
先生でした。
一度、踏み込んだら、
もう抜け出せないんじゃないか?
と不安だったけど、
あの痛みにも耐えられなくなってたし。
その不安などを拭い去ってくれたのも、
先生だったんだよね。
 
2012年2月…
長期入院すぎて、それをクリアする為に、
一時退院するしかなくなったけど、
麻薬も持ち帰らないといけない。
自宅で取り扱うために、
色々と手配してくれたのも、先生。
数日間だけの退院だったけど、
自宅で麻薬が取り扱えるのか?
それも、とっても不安だったけど、
先生のお陰で、訪問看護
薬剤師さんのサポートで、
安心して自宅でも使うことが出来た。
 
2012年の夏…
両足を切断することを決意。
命をとるか、足をとるか、
究極の選択だったけど、
まだ生きたかった。
二度目のセカンドオピニオン
行ったのも、この時だったかな。
そしてセカンドオピニオンを受けた
先生にも言われた。
【足がなくても、生きていられる】と。
 
だから、どんなに大変になるか、
想像もつかなかったけど、
決断しなければいけない時期。
先生方も、まさか…
この治療の終わりが
足を無くすことなんて、
思いもしなかっただろうね。
当時の主治医とは、とことん、
話し合った。
それこそ、消灯後、
夜中まで話したこともある。
どんなに話しても、最後に決めるのは、
アタシ自身だったから。

最終的に背中を押してくれたのは、
その当時の一人前の主治医だった。
【手術台に乗るまで、考えればいい。
その時に嫌なら逃げればいい。
それが本当の答えじゃないの?】
そう言われて、決心ができた。
 
麻薬をずっと使い続けるわけにも
いかない。
いつの間にか、麻薬のある生活が
当たり前になってたんだよね。
後から聞かされたけど、当時は、
いつもボンヤリしてたらしい。
自分では、しっかりしてたつもりでも、
やはり周りから見たら、
普通…ではなかったんだろうね。
 
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2012年9月24日
 
両足との決別。
これまた、全身麻酔は危険だからとなり、
下半身麻酔で手術をすることになった時、
怖くてたまらなかったけど、
先生はじめ、みんなに背中を押されて、
やるしかない…となりました。
なんて酷なことなんだろうね…
と言われたけど、
それしか選択肢はなかったからね。
それに、友人に言われた一言が、
突き刺さった。
【意識ある中で、自分の足とサヨナラ
出来るって、普通は出来ないよ】
って!!!
そうか…ちゃんとお別れ出来るんだ…って、
切り替えられた。
 
手術した夜の痛みは、
皮膚潰瘍の痛みとは比べ物にならず、
痛みで叫び続けてた…らしい。
そのため、麻薬を入れすぎて、
目覚めなかった。
もしかしたら、
このまま目覚めないかも…
とまで言われたと、
後で母から聞かされました。
主治医も内心、不安だったとか。
何度も何度も、来てくれてたらしい。
ちゃんと2日後には、目覚めたけどね。
 
手術後も色々な心配や不安はあったけど、
先生方の支えがなかったら、
乗り越えられなかった。
みんなが必死に治療してくれた。
 
そして…
手術しても、麻薬から卒業できるか?
こんなに長く麻薬を投与してきたから、
すぐには抜けられないかもしれない
と言われていた。
 
手術してから3週間後、
少しづつ減らしていった麻薬は、
ゼロになった。
皮下の針を抜くことができた。
それはある意味での先生達への裏切り。
抜けられないと思ってた麻薬からの
卒業は、みんなが驚く結果だった。
そして、その喜びを一番に
分かち合えたのも、
緩和ケアの先生でした。
足を失っても、幻視痛などで、
麻薬を使う人もいると聞いてただけに、
ゼロになったことは奇跡。
無事に卒業出来たこと、
手術した大きな成果でもありました。
 
その痛みから解放されても、
ずっと近くで見守ってくれていた
緩和ケアの先生。
もう、痛みでの相談は減っていく…
と思ってたのに。
神様はアタシにどれだけの
【痛み】を課せるのだろう?
 
今は、またしても逆宝くじな骨髄炎で、
痛みと戦う毎日。
痛み止めの使いすぎで、胃潰瘍になり、
肝臓の数値は悪くなり、
今まで効いていた薬は取り上げられた。
今は弱い痛み止めけど、
なんとかコントロールするしかない。
 
そのコントロールも、
痛み止めが変わった時も、
先生がいたから耐えられた。
乗り越えることが出来ている。
 
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緩和ケア=がん治療
どこか、そんなイメージもあるけれど、
アタシのような患者さん、
そして病気からの痛みで苦しんでる
患者さんにとって、
どれだけ大切な場所か、
先生と出会って知りました。
そして、心の緩和ケアまでしてくれる。
薬や治療だけでなく、
先生と会うだけで、
先生とお話するだけで、
どれだけ救われてきたか。
 
今はもうお空の住人なお友達と、
よく話していた。
【N先生がいるから、俺らは耐えられる】
いつもいつも支えだった。
 
だから、この春に離れなければ
いけないと分かった時、
アタシは本当に耐えられるのかな?
なんて弱気になだたけど。
頑張ることで、乗り切ることで、
先生に恩返ししなきゃね。
 
先生がT大を離れて半年以上が経過
しても、アタシの中のロスは消えない。
それでも、先生と再会した時に
胸張って笑顔になれるように、
負けないからね…先生。
離れていてもN先生と一緒に
頑張ってるんだよー!!って、
そう思いながら、
今の緩和ケアの先生とまた
歩んでいきます( *´꒳`*)